May 30, 2009
コールセンターの業務
コールセンターでのアルバイトをしたことがあります。電話は集中響くし、アドレスなど、初めて聞くのアドレスだと聞こえないなくて大変でした。どうすればできるかと、いくつか悩んだ時期もありましたが、最終的に数をこなすことの結論が出てきました。コールセンターの仕事は心配する時間があれば、まず電話で確認するという考えで行動していると自然に言葉の引き出しが増えてきました電話代行というのはあまり耳に入らない言葉がありますが、実際には非常に頼りになるサービスと呼ばれます。もちろん有料ですが、それ以上の成果が出てくるでしょう。具体的にどんな内容なのかと、電話代行という名前の電話を代行するサービスだと思う。電話は代行は、大切な人から電話かかってきたときには、代わりナワジュは、サービスと呼ばれます。
◇ボール、文具など
長岡市の姉妹都市ドイツ西部トリアー市の友好大使ヨハン・アウバートさん(71)が23日、福島県からの避難児童12人が在籍する長岡市立宮内小学校を訪れ、サッカーボールや文房具などを贈った。
96年から友好大使を務めるアウバートさんは東日本大震災の影響で同市に多くの児童が身を寄せていることを知り、トリアー市で義援金を集めた。地元ではケーキや飲み物を売って募金した子どもたちもいたという。
集まった義援金200万円を元に物品を購入。ポロシャツやタオルにはドイツ語で「私たちは友だちです」と刺しゅうが入っている。贈り物が詰まったリュックサックを背負った子どもたちは大喜び。同県富岡町から避難している小1の女児(7)は「うれしい。大切に使います」と元気に答えた。アウバートさんは「仲良く助け合っていい時間を過ごしてほしい」と話していた。【宮地佳那子】
5月24日朝刊
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長岡市は23日、東日本大震災で被災した宮城県石巻市で8月1日に催される「石巻川開き祭り花火大会」で、長岡花火が打ち上げられると発表した。震災復興を祈願する花火「フェニックス」で、中越地震(04年10月)で全国から受けた支援への感謝と復興への祈りが届けられる。
石巻川開き祭りは、川や海で亡くなった人たちを供養する趣旨。長岡花火は、長岡空襲(1945年8月1日)犠牲者の慰霊と中越地震からの復興を祈願している。大震災を受け、今年の石巻の花火が「犠牲者への供養」「復興と希望」をテーマにすることになったため、長岡まつり協議会(長岡市)が打ち上げを申し出ていた。
石巻の花火大会は、例年の打ち上げ場所の近くに仮設住宅が建つため市中心部付近に場所を変更。協賛金の減少などで、例年1万7000発の花火も規模が縮小される見通し。フェニックスも規模は縮小されるとみられる。具体的な打ち上げ内容については今後協議するという。
フェニックスの打ち上げ費用は150万〜200万円で、長岡まつり大花火大会の協賛金の1%を充てるなどする。同市の森民夫市長は「長岡では、中越地震の翌年の花火を見て大勢の人が涙を流した。石巻を応援するのは長岡市民として当然」と話す。
また同市は8月2、3の両日に開かれる長岡まつり大花火大会に大震災の避難者を招待する予定。【岡村昌彦】
5月24日朝刊
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【豊見城】沖縄戦中の1945年3月26日、座間味村で起きた「集団自決」(強制集団死)の生き残り、宮城恒彦さん(77)=同村出身、豊見城市渡嘉敷在住=が23年間続けてきた沖縄戦体験記発行に一区切りつけた。同村住民の戦争体験を収集し、最終号の第23号を3月に発行。宮城さんは「集団自決」で姉の宮平ハルさん(当時19歳)を失った。「最も悲惨な目に遭うのは住民だ。人を狂気に陥れる戦争を二度と起こしてはいけない」との思いに突き動かされ、33人の証言を刻んできた。
最終号には、軍命による「集団自決」を明確に示す宮平春子さん(84)の証言を収録した。当時座間味村の助役だった兄、故・宮里盛秀さんが「軍の命令で、潔く玉砕しなさいと言われているから」と言った言葉が記されている。
宮城さんの姉ハルさんの最期を見た故・宮里美恵子さん(享年85歳)の証言も記録できたことから「一段落ついた」と体験記に終止符を打った。
宮城さんは戦後、ハルさんを失ったことを悔やみ、自分を責め続けた母親・ウタさん(享年91歳)を前に、体験を語れなかったが、ウタさんの他界後、初めて語った。座間味村史にある想像を絶する体験の多さに衝撃を受けた。中学校で国語教師をしていたため休みを利用し、戦争体験者を訪ね聞き取りを重ねた。
89年に1号を発行した。多くの住民が語りたがらず、古傷に触れるようでつらかった。「方言で質問すると返してくれた。体験者でないと分からない複雑な思い、惨めさがある」。険しい表情で振り返る。
体験記は毎回、1500冊発行し座間味村内の小中学校や過去の赴任校などに置いている。「文字も大きく、行間を広げ読みやすく工夫した。平和教育にぜひ活用してほしい」。体験記が“語り部”として受け継がれるよう強く願っている。
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